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TOJIRO Net
藤寅工業株式会社

至極のトッププロ、ギィ・マルタン氏とのコラボレート

世界各地のすばらしい調理文化が生み出す喜びや満足感を分かち合うお手伝いをしたい。日本、そして世界の食文化を「道具」の面で支えていきたい。そんな私達の頑なな想いが一人のトップシェフの目に留まりました。彼の右腕として扱われる包丁は契約や宣伝のためではない、自分のパートナーとしての包丁に藤次郎を選びました。

料理の至極の領域へ。

ギィマルタンと弊社常務

シラク大統領やナポレオンなどフランスの著名人に愛されたに愛されたフランス屈指のレストラン「ル・グラン・ヴェフール」のギィ・マルタン氏。フランス料理文化センター主催のイベントで来日した彼が、藤次郎の包丁に魅せられるのにそれほど時間はかかりませんでした。
ギィ・マルタン氏の得意とする料理も伝統に裏打ちされた技術と、世界の食文化を融合させた新しいフランス料理でした。藤寅工業株式会社はギィ・マルタン氏の思想に深く共鳴し、氏のサポートを開始。同時に氏のアドバイスを生かした包丁を開発する予定でした。しかし、氏にとって包丁は「自分の腕」というべき存在。藤次郎の切れ味と機能性を生かした自分専用のナイフが欲しいという気持ちから、開発は氏の理想の包丁への開発へと変化していくのです。ギィ・マルタン氏もスケッチ段階から積極的に参加。氏の包丁の使い方を何度も何度も確認し形状・素材を吟味していきました。
2年の歳月を費やし開発された「Tojiro Supreme」(トージローシュプリーム)シリーズはギィ・マルタン氏いわく「子供の頃の夢が叶ったような」夢の包丁。「Tojiro Supreme」シリーズは現在も氏の理想の料理を創造するパートナーとしての役割を果たしています。

「Tojiro」の包丁は私の手の延長です。

ギィマルタン氏

藤次郎の包丁にはいくつかの素晴らしい点が有ります。例えばその重さには絶妙の存在感が有り、普段に使用する時には勿論の事、重作業においてでさえもこの包丁を使用して疲れるという事は有りません。
私が藤次郎の包丁を手にする時、ハンドルの形状が私の指にしっくりとなじみ、それが私に安心感を与えてくれます。藤次郎の包丁は私の手から滑り落ちるといった事はあり得ません。私が食材を切ったり刻んだりする際にも、他の道具を使用する事なく私の手の延長として思うままに機能してくれます。
私は日本を含む世界中を旅しましたが、藤次郎の様に素晴らしい品質の包丁に出会った事はありません。多くの種類が用意されている事も藤次郎の特長と言えるでしょう。又、そのデザインはぞくぞくする程美しく、料理を作るためには欠かすことが出来ないし、一度使用したら二度と手放す事が出来ない物なのです。この包丁に依って、全ての作業を完璧にこなす事が出来るのです。藤次郎の包丁を見ると一丁・一丁に魂が込められていて、職人気質が感じられるうえにその伝統を感じ取る事が出来ます。こうした藤次郎の素晴らしい包丁は、奉仕の心でその包丁を握る人を魅了するたまものと言えるでしょう。ギィ・マルタン氏サイン

親愛を込めてー

フランス(パリ) "ル・グラン・ヴェフール" 
シェフディレクター ギィ・マルタン

シェフの哲学―食の探求から三つ星レストランの運営まで

シェフの哲学

2008年2月に日本においてギィ・マルタン氏の著書「シェフの哲学―食の探求から三つ星レストランの運営まで」が発刊されました。この著書はギィ・マルタン氏の自伝と「ル・グラン・ヴェフール」のメニューのレシピが事細かに解説されたギィ・マルタン氏の全てが垣間見える読みごたえのある本となっております。
FFCC(フランス料理文化センター)の大沢晴美氏と夫の大沢隆氏により2006年に発刊された原本を翻訳した、まさに三つ星レストランを運営するためのノウハウや、氏の味覚や調理法が余すことなく掲載された至極の一冊となっています。レストランを運営される方から、一線で活躍されるシェフの方、シェフを目指す方から、ギィ・マルタン氏の料理に魅了された方までぜひご覧ください。
また、この書の発刊を記念して平成20年2月29日に「ル・グラン・ヴェフール」と関わりの深い、東京丸の内の「東京會舘」にて東京會舘創業85周年イベントとして発刊記念ガラディナー「ギィ・マルタンの世界」が開催されました。ギィ・マルタン氏の思想を耳と目、そして舌で存分に堪能できる素晴らしいイベントとして大盛況でした。
「東京會舘」
は「ル・グラン・ヴェフェール」と非常に絆が深く、東京オリンピック開催時に開設された「東京會舘」のレストランに派遣された料理長が、当時「ル・グラン・ヴェフェール」の有名なシェフであったレイモン・オリヴェ氏でした。ギィ・マルタン氏が料理長を務める現在もその深い絆は現在も引き継がれています。

ギィ・マルタン氏プロフィール

ギィ・マルタン氏

アルプスのふもと、サヴォア地方生まれ。父はケーブル関連会社社長。親族にレストラン関係者はいないが、幼い頃から料理好きの母親の手料理で育つ。また、電灯も使用しない「山の生活」を守る祖父母の影響もあり、牛やヤギ、雄大なアルプスの大自然に親しみ成長した。そんな子供時代が後の料理人人生のベースとなった。

1976年からの5年の修業時代を経て1981年「ルレ・シャトー協会」に所属する高級シャトーホテルレストラン「シャトー・クドレ」のシェフに抜擢される。その後、数軒のシャトーレストランのシェフをつとめ、その実績をかわれ1983年、レマン湖を見渡すシャトーホテルレストラン「シャトー・ディヴォーヌ」のシェフ兼支配人として着任、1985年に初めての一つ星を獲得。翌年には「ルレ・シャトー協会」の”最高のもてなし賞”を得て、シャトーホテルの支配人としての力量もしめした。1990年にはミシュランの二つ星を獲得して、ふるさとサヴォアの星となる。この年フランス料理文化センター(FFCC)の招きで初めて来日。以来、大の日本愛好家となった。

ギィ・マルタン氏調理風景

順風満帆の料理人人生に大きな転機が訪れたのは、初めての日本滞在から帰国後だった。コンコルドグループのホテル、シャパーニュ、クリスタルのバカラなど一大グループを統帥するテタンジェ氏から、パリの歴史的名店「ル・グラン・ヴェフール」のシェフへという誘いがあった。
「ル・グラン・ヴェフール」は、皇帝ナポレオンやジャン・コクトーなどフランスの偉人たちに愛された200年以上の歴史を持つ「パリっ子の誇り」ともされる名レストラン。レイモン・オリヴェが長年にわたって守り続けた名店もオリヴェ以降転落。テコ入れをすべく、テタンジェ家がこれを買収してのヘッドハントだった。断るつもりでパリに出掛けたが、「レストランに入った瞬間、魔法にかけられたようで」この誘いを受け、ふるさとをあとにする。
しかしこの人選にジャーナリストも故意に批判的な記事を書くなど、パリっ子の反応は冷たく、苦しい船出となったが、あえてサヴォアのチーズや食材を使用し、郷土色をうちだすかたわら、食材と香りの繊細な調和を目指す独自の料理を追究して、イッセイ・ミヤケやジャン・ポール・ゴルチェらのファッション業界、カトリーヌ・ドヌーヴら映画スター、ミッテラン、シラクらの政治家など各界の名士が続々とつめかけるようになり、一躍「最も期待される若手シェフNo.1」に。1999年には「ゴエミオ」で”今年の最優秀シェフ”、そして2000年に記念すべきミシュランガイド100年で、念願の三つ星を手にした。以来、いま、一番予約のとりにくいパリのレストランといわれている。2003年フランスの最高の名誉である「レジオン・ドヌール勲章」受賞。